no title。

「もう無理だよ」何年振りかの何度目かの言葉。

 

 

その度に受け止め方は違う、憎しみあった10年前。「元気でな」と握手をして別れたサザンテラスは7年前。「ありがとう」とちょっと泣いた田端駅は4年前。

 

 

大小は関係なくとも悲しみは抱えることには変わりない。しかしながら受け止め方は変わってきた。階段を登っているのか降りているのか分からない日々の中で「好き」だと言う人、誰かへの強い想いを相談する人、目の前にある生ビール。様々な人たちの、モノたちの中でそう確かにわたしは生きていた、どれが本当?どれが嘘?そんなことはどうでもいい、ただどうなるのかはわからない日常を揺蕩うかの如くわたしは生きている、心で泣いて喚いても。

「人間が本当に覚えていられるものは苦痛の記憶だけかもしれない」

その言葉を否定する生き方を、いまのわたしならば、選択したい。