社会人2年目間近に私は脱落した。
会社に行けなくなってしまったのだ。
絞り出すように「辞めます。」とボスに言ったのは
通算3回
「体調崩してるからナーバスになっているだけだよ」と言わんばかりの制止で今。
元上司から「風の噂で聞いたけど…」と生存確認が来るのもしんどい、めっちゃくっちゃ。
そもそも、会社員になって"風の噂"というワードを沢山聞くようになった。「私はいいと思うけど、周りの人はどう思うかな?」と言ったご指摘に添えて。
不満ばかり溢れたひき肉みたいな環境を享受し続け、朝目覚めた瞬間に退勤ばかりを切望して、やりがいなどは全くなくただただ淡々と生かされているだけの毎日に私は私をより嫌いになることが加速するようになった。
「次辞めてどうするの?」そう聞かれるけど、次を考える余裕さえもないのが現状。
もう何も考えられない、何もしたくないそんな生活で心がポキっときてしまった。大好きな読書ができない大好きな音楽も聴けなくなった、身なりに気を使わなくなってしまった。
「頑張れ」と背中を押し続けてくれた人々はもう私に「頑張れ」とは言わなくなった。
もう潮時なんだろう。
そんな中、昨夜一編の詩をふと思い出した。
詩人、中原中也の詩の中で1番好きな詩が最晩年の詩である。
『おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発する都会の夜々の燈火を後に、
おまへはもう、郊外の道を辿るがよい。
そして心の呟きを、ゆつくりと聴くがよい。』
うつ状態から脱したく、もう一度ほんの少し自分を好きになりたくて最後の選択肢に手を出した、思い立ってから行動に移す速さは20幾ばく生きてきた中で最速である。
言い訳ばかりで全く行動に移さなかった私がアクションを起こしたことがこれから自分の心をどう導くか現状をどう捉えて行くかはまだ分からない。でもひとつわかっていることは後悔はしていないということだ。