深夜深酒からどうしようもない事実を見つめる。
真っ暗な部屋 遠くの灯台の灯り 波の音
理性を持ってしまったら負けという遊び。
ドキドキはしない、けれど安心感があるよ、
俺はそう思う。お前は?という答え合わせ。
息が上がっても答えは上がらない。
気がつけば駒込駅を発車する山手線、
何が真実何が嘘か分からず
アイスコーヒーを啜る。
36.8度がバレ背に爪を立てられた。
深夜1時過ぎ、終電はとっくに過ぎ去りタクシーで帰ることしか選択肢がないゆったりとした時間に西新宿を歩く。幼少期1番近い都会が新宿だったからか、コンクリートジャングルトーキョーのカオスな街、新宿に強く憧れを抱いてる。品川のタワーマンション?勝どきのタワーマンション?いや、俺は西新宿に住みたい。そう思って生きてきた。
そんな中、1人でふと事実を見つめてみる。
時差と共にやってくる、気づいた時には、もう元には戻れない感情。何をしていても何をしていなくても湧き上がる感情、分からない、けど、分かっている、もう元には戻れないのだ。私の負けだと白旗を挙げたくても、挙げられず何も言えなくて煌びやかな都会の喧騒から離れる。3km歩いて後部座席から事実を思い返す。どうしようもない、どうしようもない人間だと顔を覆いたくなる、涙はでない、若輩者のくせに強くなったからか年を重ねたからか。
ただただ事実を受け入れるしか術ないことは分かっている、どこまで流れ行くだろう、ゆらゆら揺れて何処へ流れ着くのだろうか。数時間前の同期の掌が何か教えてくれるような気がした。
家庭の事情で東京と愛媛を往復する回数がここ最近増えた。何もない田舎、街灯も少なく得体の知れない何かの鳴き声が川辺で反響する夜星が綺麗に見えるのが唯一の楽しみである。そんな滞在生活中、祖父母宅の書斎に私が高校時代に買ったであろう本が1冊あったので手に取った。後半のページから出てきたイギリス留学中に買ったポストカードと、折りたたまれた色褪せたプリント、事前調査、平成22年5月と日付が記されてる、薄っすらと見える黒インクで書かれた文字。身に覚えがなく開いてみる。
"愛してる。これで満足?"
小さな字、だが達筆な字で記された手紙。初恋の人からの手紙だった。どういう経緯で貰ったかは忘れたけど当時を少し思い出してしまった、プラトニックで親密な関係を築いた17歳の夏を思い出す。当時から常に強気で芯がしっかりしてる先輩で風の噂では自分の夢を叶えるべく異国の地で1人闘ってるそうだ。彼女と過ごした短い時間のお陰で今自分が執筆してる論文が存在してるし、進路も途中ぶれたけど振り出しに戻ってもう一度自分がやりたいことをやれる環境を手に入れることができた。確かに存在してた時間と経験のお陰で私は確実に成長できたであろう。あの頃に比べたら今はほんの少しは素直になれるようになったよ、身長6cm伸びたよ、しんどいこともあるけど確かに生きてるよ。
私は小さな手紙をゴミ箱に捨てた
「いつかもう一度君と出会いたいな、他人で。 」そんなことを思いながら、7年という歳月を経て吹っ切れた私が顔を出したのだろう。
そろそろまた1年が終わる。
気がつけば月が変わっていた。
気がつけばモラトリアムのモラトリアムは終わろうとしている。
大体いつもそんな感じで月日は減っていく。
今回のモラトリアムのモラトリアムは常に動いていたから「一週間一週間が早い」とよく私は言っていたように思われる。働いて、勉強して、スーツを着て活動して、手を離さなきゃいけない人を手放したり、とっかえひっかえしたり、少し放浪してみたり、自分の中で抱えていた思いを酒で流したり、心奪われたり、笑ったり、ちょっと泣いてみたり、と激動的且つ思っていたより得られた物は沢山あったモラトリアムだと今は思う。
長い長い休暇は夢のようで色んな局面で酸いも甘いも経験できた。
啓蟄はとっくに過ぎ去り美しく咲いていた桜も気がつけばまた姿を消していた。長い冬は姿を消し、遠いように思われた春は訪れ、夏がやってくる、匂いが少しずつ強くなっていく日々の中で、正しい答えじゃなくて信じられるものはないだろうか。
「好きなタイプは?」
最近会った人に「好きな場所に連れてってよ」とお願いをよくする。私のこの人生を振り返ると、型にはまった行動しかしていない。この街に来たらこの店とあの店へ。とか、お昼ご飯食べに来たらこの店のB定食だけを注文する。とか。冒険もせずに生きてることを後悔することも多々あった。かと言って踏み出すキッカケもない。だから私はこういうお願いを人にする。そして誘われた場所にたどり着けばその人がどういう人間かもっと分かるし、私は子供のように知らない世界を面白がる。そして、この世の中は自分の知らない世界だらけで、とても面白いということを認識する。
"可動域を広げる"これはいつからか立てた自身の目標だ。精神病理に於いても病を治す為の最善な方法は可動域を広げるということなように可動域を広げるということは人が善く生きる為のプロセスで本当の意味で自由になる為の術である。
今は分からない楽しさを思う存分楽しんでいるがそれは今だけでいい、私が30歳、40歳になった時には知らない世界はそんなにいらない。それは未知の世界を拒絶することではなく、知らないことの多くを楽しむのではなく知ってることの多さを受け止めそれを活かし楽しみたいってこと。可動域を広げることによって視野は広がり、道端に落ちているとても小さな綺麗な石ころのようなものも見つけられる、これからどうなるかは勿論神のみぞ知るだけれども可動域を広げることによりよりよく生きられることは明らかだ。
急遽人と酒を飲む予定が出来て街へでた。
「あんた、今日はゲイっぽくないわね」と久しぶりにあった年上の友人は開口一番に言った。最後に会った時は夏で、あの時ピッチピチのTシャツに短パン、そしてニューエラのキャップというどっからどうみてもいかにも典型的な若いゲイの装いでいたからか「あんた私より遥かにゲイらしいわ」と帰り道のC8出口付近で言われたのを覚えてる。ハッピーアワー開催中のCoCoLo cafeで「我々シャイニーゲイだからマルゲリータでも食べて酒飲みましょう」とバカげたノリで我々はピザを注文しビールで乾杯をし食事会をスタートさせた。
シャイニーゲイとは昨年のTRPという毎年GW頃代々木公園で行われるLGBTのプライドイベントあたりから突如SNSでゲイの間で使われるようになった言葉だ。Instagramで仲間との集合写真をあげたり、週末にホームパーティを開き仲間と楽しい時を過ごしたり、頻繁にジムに通って身体を鍛えたり美容や健康を大いに気にしたりするゲイを意味する、つまりはリア充って奴だ。今現在置かれている現状などを冷静に考えなくても私はシャイニーゲイには程遠い、シャイニーゲイの重要項目の一つである身体を鍛えてるということには当てはまるけれど。シャイニーゲイには当て嵌らない我々は、その言葉を借りるならば「拗らせ仲間」で偶に会っては近況報告や恋愛話などの会話を繰り広げる、勿論今回もだ。
「あんた、会わない間に大人になったしとても落ち着いたね、昔では考えられないくらい」と私の近況報告を終えると友人は深く頷きながら私に言った。出会った頃私は確か18歳の浪人生で、友人は22歳の大学生で、あれから4年の月日が流れた。「ありがとうございます。でもよく考えてみるとこの世で変わらないものなんてないんですよ、このお皿だってグラスだってこれらを形成する物質はおそらく何百年に一度の周期で回ってるんですから。だから人間も当然少しずつ変わりますよ」と目の前の食器を指差し私は答えた。出会った頃の18歳の私ならきっとそんなことは言わなかった、ずっと人間は変われないと思い生きてきたけれど人間はその気になれば生まれ直せると信じている今だからこそ噓偽りもなく本心からそう言えたのかもしれない。
食事が終わりお店を出た私たちはルミエールであーでもないこーでもないとDVDのパッケージの品定めをすることを経て2軒目として私がいつもお世話になっている大好きなお店に流れ着いた。そこで、意を決して複雑怪奇なここ最近の自分自身についての大きな悩みを打ち明けると「そうなのねぇ。面白いしそれでもいいんじゃない?」という言葉を受け取った。すると不思議なことに心がふっと軽くなった。他者の些細な言葉が気がつけば最後までたわいもないお喋りでお酒を美味しく楽しく飲むという時間に繋がっていた。
シャイニーゲイの定義なんて曖昧できっと誰も真意は分からないだろう。友人と美味い酒を飲んで明日も頑張ろうと思えることもシャイニーなんじゃないかなぁとぼんやりと思いながら仲通りで大きく手を振った後帰路を急いだ。バルス